2010年 02月 16日
同郷の国母和宏選手 |
バンクーバー五輪のスノーボード代表の国母和宏選手の服装と、その後の会見での態度が問題視されている。確かに感心できる姿ではなかったが、メディアでボロカスに言われ、通っている大学で予定されていたパブリックビューイングでの応援が中止されるなど「社会的制裁」は充分すぎるほど受けている。しまいにゃ文科相まで「遺憾だ」とか言っている。朝青龍の一件があったばかりのタイミングだったことも影響したのか、ここまでやらなくてもいいのではないか、と思うほどの叩かれ方だ。
彼が通っていた中学には、私の実家から2回角を曲がるだけで行ける。ひとつ目の角を曲がってからは1キロちょい、ふたつ目からも7、8キロはあるのだが。
それでもまあ「同郷」と言っていい近さである。
だから擁護するわけではないが、橋本聖子さんと一緒にきちんと謝罪したのだし、本人と同じくらいかそれ以上に責任を負うべきコーチが矢面に立ってくれない状況に置かれているのだから、私は、「あれはあれ」として、彼の滑りを楽しみに待ちたいと思う。
国母選手の競技が始まるまで日本人がメダルを獲っていなければ、
――あれはなかったことにするから、頼むぞ。
とみんなが思うようになったかもしれないが、男子スピードスケートの500mでふたつもゲットしてしまった。彼にむけられる目は厳しくなる。
月並みなことしか言えないが、国母選手には、競技で「カッコいい」と思わせてほしい。
五輪代表というのは特別な立場なので、縁もゆかりもない人たちから、
――なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないの?
ということまで言われるものだ。
年齢的にこれが最後の五輪ではないと思うので、これからは、腹の底でどんなドロドロしたことを思っても、絶対にそれを口や態度に出さず、しっかりとした受け答えをしてほしい。
それが「渋い」大人のスポーツマンだ。
彼はそう見られたいと話していたが、同郷で、言葉に関する仕事をしている者として言わせてもらうと、「渋い」という言葉は、北海道とその他の地域とでは(世代や、マジメだったか遊んでいたかにもよるが)、使い方も受けとめ方も微妙に違っている。
私の受けとめ方に偏りがあるかもしれないが、北海道の若者が言う「渋い」には、「地味で味わい深い」という辞書的な意味合いが薄く、そのかわり、「強そうで、迫力があってカッコいい」というニュアンスが加わってくる。
ともあれ、いい結果を出してほしい。
この日記が「週記」ペースになりつつある。
単行本の原稿や、来月の海外取材の準備など、やらなきゃいけないことが山のようにある。
彼が通っていた中学には、私の実家から2回角を曲がるだけで行ける。ひとつ目の角を曲がってからは1キロちょい、ふたつ目からも7、8キロはあるのだが。
それでもまあ「同郷」と言っていい近さである。
だから擁護するわけではないが、橋本聖子さんと一緒にきちんと謝罪したのだし、本人と同じくらいかそれ以上に責任を負うべきコーチが矢面に立ってくれない状況に置かれているのだから、私は、「あれはあれ」として、彼の滑りを楽しみに待ちたいと思う。
国母選手の競技が始まるまで日本人がメダルを獲っていなければ、
――あれはなかったことにするから、頼むぞ。
とみんなが思うようになったかもしれないが、男子スピードスケートの500mでふたつもゲットしてしまった。彼にむけられる目は厳しくなる。
月並みなことしか言えないが、国母選手には、競技で「カッコいい」と思わせてほしい。
五輪代表というのは特別な立場なので、縁もゆかりもない人たちから、
――なんでアンタにそんなこと言われなきゃいけないの?
ということまで言われるものだ。
年齢的にこれが最後の五輪ではないと思うので、これからは、腹の底でどんなドロドロしたことを思っても、絶対にそれを口や態度に出さず、しっかりとした受け答えをしてほしい。
それが「渋い」大人のスポーツマンだ。
彼はそう見られたいと話していたが、同郷で、言葉に関する仕事をしている者として言わせてもらうと、「渋い」という言葉は、北海道とその他の地域とでは(世代や、マジメだったか遊んでいたかにもよるが)、使い方も受けとめ方も微妙に違っている。
私の受けとめ方に偏りがあるかもしれないが、北海道の若者が言う「渋い」には、「地味で味わい深い」という辞書的な意味合いが薄く、そのかわり、「強そうで、迫力があってカッコいい」というニュアンスが加わってくる。
ともあれ、いい結果を出してほしい。
この日記が「週記」ペースになりつつある。
単行本の原稿や、来月の海外取材の準備など、やらなきゃいけないことが山のようにある。
by akihiro_shimada
| 2010-02-16 23:59
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