2010年 03月 14日
ノンフィクションノベル |
昨日、日付のうえでは本日だが、夜中の1時ごろ、原稿を書いていたら伊集院静さんから間違い電話があって、眠気がすっかり吹き飛んだ。
私が、
「どうも、ご無沙汰しております」
と言うと、しばしの沈黙のあと、
「ああ、ごめん。島田という名字の編集長がいて、そっちと間違えてしまった。すまないな」
「いえ」
と、少し世間話をして通話終了。
その後、原稿の能率がびっくりするぐらい上がった。
ドバイ取材が近いので、それまでにいろいろやらなきゃいけないことがある。ドバイの取材申請は先月のうちに済ませた。申請を認めるむねのメールと、旅程確認のメールが来て、私から確認メールを出してから1週間ほど経つのだが、まだeチケットが来ない。ほかの人もそうなのか、明日訊いてみようと思う。
「優駿」4月号からノンフィクションノベル「馬上の変革者――名騎手・保田隆芳物語」の連載が始まる。10年ほど構想をあたためていたものだ。「あたためていた」というと聞こえがいいが、どう書いて、発表すべきか悩み、10年もがいていた、というほうが近い。
――もっと早く発表することもできたのに。
という思いもあるが、10年前は、大宅文庫や国会図書館やJRA図書室などで資料を集め、保田隆芳氏本人に一度ロングインタビューをし、数十枚のノンフィクションを雑誌に書く……というのが、私にできる最大限のことだった。
その後、2006年に前田長吉元騎手の遺骨が「帰還」し、兄弟子の保田氏に再度じっくりお話をうかがう機会を得た。で、長吉さんのドキュメントを書くための調べ物をしているとき、保田氏に関する「新事実」をいくつも見つけた。
さらに、長男の保田一隆調教師、甥で弟子の池上昌弘調教師、保田隆芳氏の奥様、お孫さん……といった、10年前には取材したことのなかったご家族からお話を聞くことができた。それに加え、他の作品を編集者に見てもらったとき「ノンフィクションノベルならイケるのでは」と言われ、
――なるほど、保田先生の物語も、そうして間口を広くする手があるのか。
と気づかされたりと、やはり、今でなければ書けないものだった、と思っている。
先日、20年以上積ん読になっていた中上健次の「天の歌 小説都はるみ」を読んだのにつづき、また数冊ノンフィクションノベルを読んだ。「ノンフィクションノベル」「ドキュメント小説」という分野に対するとらえ方が、以前とは変わってきた。
以前の私は、ほかの取材者では聞き得ない「本人の言葉」を取材対象から引き出すことを売りにしていた。だからだろう、実在する人物を自分の小説世界のなかで動かすのは失礼だし、極端な言い方をすれば「冒涜」なのでは……という考えがどこかにあった。が、今は、そう考えたのは、自分に、取材対象、つまり小説世界のなかで動かす人物に対する敬意がむしろ足りなかったからではないか、という気がしている。
木曜日、写真家の太田宏昭さんの写真展「ばんえい競馬 光と砂」に行ってきた。銀座キャノンギャラリーで17日(水)までやっており、その後、札幌、大阪でも行われるので、ぜひ、どうぞ。
私が、
「どうも、ご無沙汰しております」
と言うと、しばしの沈黙のあと、
「ああ、ごめん。島田という名字の編集長がいて、そっちと間違えてしまった。すまないな」
「いえ」
と、少し世間話をして通話終了。
その後、原稿の能率がびっくりするぐらい上がった。
ドバイ取材が近いので、それまでにいろいろやらなきゃいけないことがある。ドバイの取材申請は先月のうちに済ませた。申請を認めるむねのメールと、旅程確認のメールが来て、私から確認メールを出してから1週間ほど経つのだが、まだeチケットが来ない。ほかの人もそうなのか、明日訊いてみようと思う。
「優駿」4月号からノンフィクションノベル「馬上の変革者――名騎手・保田隆芳物語」の連載が始まる。10年ほど構想をあたためていたものだ。「あたためていた」というと聞こえがいいが、どう書いて、発表すべきか悩み、10年もがいていた、というほうが近い。
――もっと早く発表することもできたのに。
という思いもあるが、10年前は、大宅文庫や国会図書館やJRA図書室などで資料を集め、保田隆芳氏本人に一度ロングインタビューをし、数十枚のノンフィクションを雑誌に書く……というのが、私にできる最大限のことだった。
その後、2006年に前田長吉元騎手の遺骨が「帰還」し、兄弟子の保田氏に再度じっくりお話をうかがう機会を得た。で、長吉さんのドキュメントを書くための調べ物をしているとき、保田氏に関する「新事実」をいくつも見つけた。
さらに、長男の保田一隆調教師、甥で弟子の池上昌弘調教師、保田隆芳氏の奥様、お孫さん……といった、10年前には取材したことのなかったご家族からお話を聞くことができた。それに加え、他の作品を編集者に見てもらったとき「ノンフィクションノベルならイケるのでは」と言われ、
――なるほど、保田先生の物語も、そうして間口を広くする手があるのか。
と気づかされたりと、やはり、今でなければ書けないものだった、と思っている。
先日、20年以上積ん読になっていた中上健次の「天の歌 小説都はるみ」を読んだのにつづき、また数冊ノンフィクションノベルを読んだ。「ノンフィクションノベル」「ドキュメント小説」という分野に対するとらえ方が、以前とは変わってきた。
以前の私は、ほかの取材者では聞き得ない「本人の言葉」を取材対象から引き出すことを売りにしていた。だからだろう、実在する人物を自分の小説世界のなかで動かすのは失礼だし、極端な言い方をすれば「冒涜」なのでは……という考えがどこかにあった。が、今は、そう考えたのは、自分に、取材対象、つまり小説世界のなかで動かす人物に対する敬意がむしろ足りなかったからではないか、という気がしている。
木曜日、写真家の太田宏昭さんの写真展「ばんえい競馬 光と砂」に行ってきた。銀座キャノンギャラリーで17日(水)までやっており、その後、札幌、大阪でも行われるので、ぜひ、どうぞ。
by akihiro_shimada
| 2010-03-14 23:59
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