2010年 07月 06日
残し方 |
またしばらく日記の間隔があいてしまった。
前回の日記を書いてからの日々をざっと振り返ってみると…。
6月18日に短いエッセイを送った。
22日には数本の企画書を某社に送り、23日は打ち合わせ。
26日朝の飛行機で阪神競馬場に行き、27日は宝塚記念観戦、28日に戻ってきた。その日、梅田でY誌編集部にいたA氏と久しぶりに会った。
29日はコラム、30日はエッセイ、7月2日は、最寄り駅で知人とランチを食ったあと、単発の短い原稿の〆切。
そしてきょう、〆切を1日遅らせてもらった20枚の原稿を送った。
今週の〆切はもう1本。金曜日の午後イチまでだ。
ほとんど週記か、それ以下の更新頻度になっているこの日記のせいにはできないが、先日、小桧山悟調教師に言われて「あら」と思ったことを、伊集院静氏がゲスト出演していた読書番組を見て思い出した。
90年の夏、当時調教助手だった小桧山師と私は、武豊騎手の米国アーリントン遠征に同行し、同じ部屋に泊まっていた。先日、その話になったとき、師がぽつり。
「島田さあ、毎晩寝る前、ベッドに腰掛けて書き物をしているから『何を書いてるの?』って訊いたら、『きょう会った人や、したことを簡単に記しているんです』って言うんだよね。そのとき、ああ、こいつは根っからの物書きなんだな、って思ったね」
自分のことだが、私は忘れていた。海外取材が今ほど気楽にできなかったあのころは、一日一日を大切にし、自分に刻み込もうと真剣に考えていた。競馬関係の取材だけでなく、また、国内の取材でも、何に使うわけでもなく、そうしてメモをとっていた。
が、いつからか、私はそれをやめてしまった。年に十数回海外に行くようになり、ひとつひとつを軽くとらえるようになってしまったのと、変に忙しくなったからだろう。
気になるものはパッとデジカメで撮影してメモ代わりにできる最近は、さらにあのころの感覚から遠ざかってしまった。
読書番組で、伊集院氏が手書きの取材メモ、それも、味のあるスケッチをまじえたものについて話しているところを見て、ずっと先を行っている人が、今もずっと大切なことをやりつづけて、自分は楽をしているのだからお話しにならない、と反省した。
今週末から10日ほど、東京を離れる。今思うと、同じ目的で過ごした日々も、メモをとるべきだった。
小桧山師とともにアメリカに行った年の暮れ、有馬記念を制して「奇跡のラストラン伝説」をつくったオグリキャップが世を去った。
ホント、「残し方」を考え直さなくては。
前回の日記を書いてからの日々をざっと振り返ってみると…。
6月18日に短いエッセイを送った。
22日には数本の企画書を某社に送り、23日は打ち合わせ。
26日朝の飛行機で阪神競馬場に行き、27日は宝塚記念観戦、28日に戻ってきた。その日、梅田でY誌編集部にいたA氏と久しぶりに会った。
29日はコラム、30日はエッセイ、7月2日は、最寄り駅で知人とランチを食ったあと、単発の短い原稿の〆切。
そしてきょう、〆切を1日遅らせてもらった20枚の原稿を送った。
今週の〆切はもう1本。金曜日の午後イチまでだ。
ほとんど週記か、それ以下の更新頻度になっているこの日記のせいにはできないが、先日、小桧山悟調教師に言われて「あら」と思ったことを、伊集院静氏がゲスト出演していた読書番組を見て思い出した。
90年の夏、当時調教助手だった小桧山師と私は、武豊騎手の米国アーリントン遠征に同行し、同じ部屋に泊まっていた。先日、その話になったとき、師がぽつり。
「島田さあ、毎晩寝る前、ベッドに腰掛けて書き物をしているから『何を書いてるの?』って訊いたら、『きょう会った人や、したことを簡単に記しているんです』って言うんだよね。そのとき、ああ、こいつは根っからの物書きなんだな、って思ったね」
自分のことだが、私は忘れていた。海外取材が今ほど気楽にできなかったあのころは、一日一日を大切にし、自分に刻み込もうと真剣に考えていた。競馬関係の取材だけでなく、また、国内の取材でも、何に使うわけでもなく、そうしてメモをとっていた。
が、いつからか、私はそれをやめてしまった。年に十数回海外に行くようになり、ひとつひとつを軽くとらえるようになってしまったのと、変に忙しくなったからだろう。
気になるものはパッとデジカメで撮影してメモ代わりにできる最近は、さらにあのころの感覚から遠ざかってしまった。
読書番組で、伊集院氏が手書きの取材メモ、それも、味のあるスケッチをまじえたものについて話しているところを見て、ずっと先を行っている人が、今もずっと大切なことをやりつづけて、自分は楽をしているのだからお話しにならない、と反省した。
今週末から10日ほど、東京を離れる。今思うと、同じ目的で過ごした日々も、メモをとるべきだった。
小桧山師とともにアメリカに行った年の暮れ、有馬記念を制して「奇跡のラストラン伝説」をつくったオグリキャップが世を去った。
ホント、「残し方」を考え直さなくては。
by akihiro_shimada
| 2010-07-06 18:01
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