2014年 01月 06日
謹賀新年 |
今年もまた、364日ぶりにこのブログを更新することになった。
特にこれといって書きたいことも言いたいこともないのだが、それを言っちゃあオシマイという感じがするので、何か書くとしよう。
昨年、2013年はどんな年だったか。
以前、確か前田日明さんにこう言われた。
「20歳から30歳までの10年より、30歳から40歳までの10年のほうがずっと速く感じるよ」
その伝で言うなら、40歳から50歳までの10年間はもっとあっと言う間だったはずだが、あと11カ月で50歳になる今振り返ってみると、40代はまったくあっと言う間ではなく、嫌になるほど長かった。もう一度やり直せと神様に言われても、あんな面倒な時間をまた過ごすなんてお断りである(競馬の結果だけ記憶に残してくれて生き直してもいい、というなら考えてもいいが)。
40歳になった2004年は、我が軍のクローザーだった河原純一投手のノンフィクションを書くため何度ジャイアンツ球場に通ったことか。
05年はディープインパクトが三冠馬になった年だ。優駿や週刊競馬ブックで連載を始めたのもこの年。
06年は前田長吉の遺骨が「帰郷」し、ディープが凱旋門賞に出た年。
07年はディープの2冊目を上梓し、ウオッカがダービーを勝った。
08年は『伝説の名ジョッキー』を上梓し、三浦皇成騎手が新人最多勝記録を更新した。
09年から介護帰省を繰り返すようになり、合間に書いた小説でさきがけ文学賞選奨をもらった。
10年は『ウオッカ物語』を上梓し、保田隆芳先生のノンフィクションノベルを優駿に連載した。
11年は震災があり、『消えた天才騎手』を上梓。
12年は1月に馬事文化賞をもらい、夏はアジア競馬会議のため行ったイスタンブールと相馬野馬追取材で日焼けした。
13年は去年だ。週刊ギャロップの連載小説が軸だった。
では、30代はどうだったか。
94年は武豊騎手が日本人騎手初の海外GI制覇をやってのけた年だ。90キロオーバーに激太りしたのをひと月で20キロ絞った。
95年はサンディエゴで武騎手と、この年MLB入りした野茂英雄投手と遊んだ。このころから年末年始を武騎手や千田輝彦現調教師らとアメリカのサンタアニタ競馬場で過ごすようになった。田原成貴さんと話すようになったのもこの年だ。
96年はダイムの連載でアジア諸国を飛び回るなど、まだ競馬以外の仕事のほうが多かった。
97年に『「武豊」の瞬間』を上梓。ものすごく売れた。
98年に処女小説「鞍上のバレット」を発表。
99年は『「武豊」の瞬間』が文庫化され、ほかに成貴さん原作の漫画をノベライズした『凶走』など3冊上梓。
2000年は武騎手のアメリカ長期滞在に一時同行。ITバブルが来た。
01年は読書サイトの仕事がメイン。
02年は最もガーデニングにハマった時期。
03年は何度か漫画の原作を。ただ、仕事としては、30代の最後の2、3年はかなり苦しかった。
去年を振り返るつもりが過去20年の回顧になってしまった。
面と向かって言ってくれた編集者もいたが、20代のころの勢いに比べたら、停滞気味の時間がつづいた。
――このままじゃイカン。
とばかり思いつづけてきた20年だった。
振り返りモノはこのくらいにして、今年をどんな年にするか。
まず、連載中の競馬歴史小説「虹の断片(かけら)」を完結させる。
年度内にノンフィクション本を一冊上梓する。
去年プロットをつくった物語を形にする。
ほかにもうひとつ、長いものの予定があるので、このペースで連載をつづけられるか微妙である。
海外競馬取材はキズナの凱旋門賞を見に行くだけにするつもりだ。番組構成の仕事もひとつ受けたが、これだけにする。
私の仕事は、人の余暇のため、また、ゆとりの部分を満たすためのものであり、人が遊んでいるときにヒーヒー言わなければならない。
この年末年始、世の中は9連休だったらしく、私にとっては、会社勤めをする編集者たちが動きを止める9日間ぶんの遅れをとり戻すチャンスだった。
完全に帳尻を合わせることはできなかったが、2話しか先行できていなかった「虹の断片」を3話先行に戻しながら、単行本も2章書き加えた。6日〆切と言われていた原稿もさっき送った。
呑気に箱根駅伝を見に行ったりしなければもっと書けたのだが、そういう時間がないと書けないものもある(本当かな)。
去年の日記(年記)に書いたキンドルペーパーホワイトがなかなか重宝している。半沢直樹の原作は全部それで読んだ。
こちらは紙の本だが、伊集院静氏の『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』は、ノンフィクションノベルを書くうえでとても参考になった。それからすぐ、女流俳人・鈴木しづ子について調べることになったのも、何かの縁のようなものだろう。
一年の始まりから、とりとめのない話になってしまった。
これまで親しくさせてもらったみなさま、今年もよろしくお願いします。
同じ場所に何年もいながらいまだ接点のない人たち、おそらく縁がないので、このまま知らない者同士でいましょう。そのほうが互いに不快な思いをせずに済む。だから、私の知り合いは、そういう人たちを私に紹介などしないように。
では、ごきげんよう。
特にこれといって書きたいことも言いたいこともないのだが、それを言っちゃあオシマイという感じがするので、何か書くとしよう。
昨年、2013年はどんな年だったか。
以前、確か前田日明さんにこう言われた。
「20歳から30歳までの10年より、30歳から40歳までの10年のほうがずっと速く感じるよ」
その伝で言うなら、40歳から50歳までの10年間はもっとあっと言う間だったはずだが、あと11カ月で50歳になる今振り返ってみると、40代はまったくあっと言う間ではなく、嫌になるほど長かった。もう一度やり直せと神様に言われても、あんな面倒な時間をまた過ごすなんてお断りである(競馬の結果だけ記憶に残してくれて生き直してもいい、というなら考えてもいいが)。
40歳になった2004年は、我が軍のクローザーだった河原純一投手のノンフィクションを書くため何度ジャイアンツ球場に通ったことか。
05年はディープインパクトが三冠馬になった年だ。優駿や週刊競馬ブックで連載を始めたのもこの年。
06年は前田長吉の遺骨が「帰郷」し、ディープが凱旋門賞に出た年。
07年はディープの2冊目を上梓し、ウオッカがダービーを勝った。
08年は『伝説の名ジョッキー』を上梓し、三浦皇成騎手が新人最多勝記録を更新した。
09年から介護帰省を繰り返すようになり、合間に書いた小説でさきがけ文学賞選奨をもらった。
10年は『ウオッカ物語』を上梓し、保田隆芳先生のノンフィクションノベルを優駿に連載した。
11年は震災があり、『消えた天才騎手』を上梓。
12年は1月に馬事文化賞をもらい、夏はアジア競馬会議のため行ったイスタンブールと相馬野馬追取材で日焼けした。
13年は去年だ。週刊ギャロップの連載小説が軸だった。
では、30代はどうだったか。
94年は武豊騎手が日本人騎手初の海外GI制覇をやってのけた年だ。90キロオーバーに激太りしたのをひと月で20キロ絞った。
95年はサンディエゴで武騎手と、この年MLB入りした野茂英雄投手と遊んだ。このころから年末年始を武騎手や千田輝彦現調教師らとアメリカのサンタアニタ競馬場で過ごすようになった。田原成貴さんと話すようになったのもこの年だ。
96年はダイムの連載でアジア諸国を飛び回るなど、まだ競馬以外の仕事のほうが多かった。
97年に『「武豊」の瞬間』を上梓。ものすごく売れた。
98年に処女小説「鞍上のバレット」を発表。
99年は『「武豊」の瞬間』が文庫化され、ほかに成貴さん原作の漫画をノベライズした『凶走』など3冊上梓。
2000年は武騎手のアメリカ長期滞在に一時同行。ITバブルが来た。
01年は読書サイトの仕事がメイン。
02年は最もガーデニングにハマった時期。
03年は何度か漫画の原作を。ただ、仕事としては、30代の最後の2、3年はかなり苦しかった。
去年を振り返るつもりが過去20年の回顧になってしまった。
面と向かって言ってくれた編集者もいたが、20代のころの勢いに比べたら、停滞気味の時間がつづいた。
――このままじゃイカン。
とばかり思いつづけてきた20年だった。
振り返りモノはこのくらいにして、今年をどんな年にするか。
まず、連載中の競馬歴史小説「虹の断片(かけら)」を完結させる。
年度内にノンフィクション本を一冊上梓する。
去年プロットをつくった物語を形にする。
ほかにもうひとつ、長いものの予定があるので、このペースで連載をつづけられるか微妙である。
海外競馬取材はキズナの凱旋門賞を見に行くだけにするつもりだ。番組構成の仕事もひとつ受けたが、これだけにする。
私の仕事は、人の余暇のため、また、ゆとりの部分を満たすためのものであり、人が遊んでいるときにヒーヒー言わなければならない。
この年末年始、世の中は9連休だったらしく、私にとっては、会社勤めをする編集者たちが動きを止める9日間ぶんの遅れをとり戻すチャンスだった。
完全に帳尻を合わせることはできなかったが、2話しか先行できていなかった「虹の断片」を3話先行に戻しながら、単行本も2章書き加えた。6日〆切と言われていた原稿もさっき送った。
呑気に箱根駅伝を見に行ったりしなければもっと書けたのだが、そういう時間がないと書けないものもある(本当かな)。
去年の日記(年記)に書いたキンドルペーパーホワイトがなかなか重宝している。半沢直樹の原作は全部それで読んだ。
こちらは紙の本だが、伊集院静氏の『ノボさん 小説正岡子規と夏目漱石』は、ノンフィクションノベルを書くうえでとても参考になった。それからすぐ、女流俳人・鈴木しづ子について調べることになったのも、何かの縁のようなものだろう。
一年の始まりから、とりとめのない話になってしまった。
これまで親しくさせてもらったみなさま、今年もよろしくお願いします。
同じ場所に何年もいながらいまだ接点のない人たち、おそらく縁がないので、このまま知らない者同士でいましょう。そのほうが互いに不快な思いをせずに済む。だから、私の知り合いは、そういう人たちを私に紹介などしないように。
では、ごきげんよう。
by akihiro_shimada
| 2014-01-06 16:34
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