2005年 12月 16日
贅沢と行間 |
昨日、作曲家・編曲家の方に取材した。その道の一線級で活躍している人たちは、音楽をつくることができて(それ以前に楽譜を読めること自体、私から見るとスゴいことなのだが)、それを「プロの仕事」として、ある決め事の範囲内におさまるものにし、それでいて多くの人に、
――また聴いてみたい。
と思わせるものに仕上げる能力を持っているわけだ。彼らは、スキーのジャンプの選手とか、競馬の騎手と同じように、私の能力の延長線上にはいない人々である。そういう人の話を聞くのはとても楽しい。なので、昨日は、ページの本筋とは直接関係のない質問もずいぶんしてしまった。
自分にはできないことをできる人が、どのようにそれができるようにしているのか話を聞いても、私の日常に直接的なプラス効果が生じるわけではない(もちろん、取材から知り得たことを原稿にする、ということは除いて)。こんなふうに、すぐには(あるいは永久に)役立たないけど「へえ、面白いな」と思えるようなことに多くふれられることこそ精神的な意味での最良の贅沢である、みたいなことを言っていたのは誰だっただろうか。
抽象的な言い方になるが、当然「書いたもの」自体が一番面白くなくてはならない。が、私が味わった(かもしれない)贅沢が、いわゆる「行間」から立ち上がるものに投影されるのであれば、それはそれでいいと思う。
きょうも寒い。
――また聴いてみたい。
と思わせるものに仕上げる能力を持っているわけだ。彼らは、スキーのジャンプの選手とか、競馬の騎手と同じように、私の能力の延長線上にはいない人々である。そういう人の話を聞くのはとても楽しい。なので、昨日は、ページの本筋とは直接関係のない質問もずいぶんしてしまった。
自分にはできないことをできる人が、どのようにそれができるようにしているのか話を聞いても、私の日常に直接的なプラス効果が生じるわけではない(もちろん、取材から知り得たことを原稿にする、ということは除いて)。こんなふうに、すぐには(あるいは永久に)役立たないけど「へえ、面白いな」と思えるようなことに多くふれられることこそ精神的な意味での最良の贅沢である、みたいなことを言っていたのは誰だっただろうか。
抽象的な言い方になるが、当然「書いたもの」自体が一番面白くなくてはならない。が、私が味わった(かもしれない)贅沢が、いわゆる「行間」から立ち上がるものに投影されるのであれば、それはそれでいいと思う。
きょうも寒い。
by akihiro_shimada
| 2005-12-16 18:17
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