2006年 07月 25日
87歳、86歳、41歳。 |
昨日、きょうと蒸し暑かった。
昨日は雨に降られて湿った空気が肌にまとわりつくようで、しかも取材なのでジャケットを着ており、船橋法典の駅から先方のお宅まで歩くうちに汗まみれになった。
きょうもわりと湿度が高かったようだが、それでも体感的には昨日よりはましだった。
昨日インタビューさせていただいた方が87歳。きょうの方が86歳。おふたかたともバリバリにお元気で、昨日の方は日常的にクルマを運転し、週に一度ゴルフをされているという。きょうの方には5年ほど前にも取材させていただいたことがあるのだが、そのとき以上に、数十年前の出来事に関する記憶力に驚かされた。昨日、きょうと、非常に含蓄のある、興味深い話を聞かせていただいた。
私は、おふたかたの年齢まで、まだ折り返してもいない。これから先、フラつかずに頑張って、
「まさか自分がこの年まで生きるとは思わなかったよ」
と、きょうお会いした方のようにサラリと言えるようになりたい。
なぜこんなことを書いたかというと、私は、「未来の自分」に関して、あれこれ細かく具体的にイメージしたのが、実は、現在の41歳とかそこらへんまでで、そこから先の「自分像」については、子供のころも、20代、30代のころも、ほとんど想像してみたことがなかったからだ。
──40代前半になってもまだ髪の毛があるかな。
とか、
──40歳を過ぎたら中年太りして、加齢臭や口臭がキツくなるんだろうな。
とか、
──40代前半までには、本を何冊くらい出して、住まいはこんな感じで、クルマは……。
みたいに、いろいろな「設定」をしたものだが、ここから先については、なるようにしかならないというか、考えても仕方のないもののように思っていたし、今もそういう感覚でいる。
要は、ここから先の自分に関してはよくわからないというか、考えるのが面倒というか、怖いというか、ともかく、これまでとは異質な領域に踏み込むことになるような気がしている。
だから、その領域で自分に何ができるのかも、何をすべきなのかも、わがことながら答えを見いだせないのだが、なんとなくの「羨ましい姿」に接することができたのは、きっと自分にとっていいことだったと思う。
またなんだかわけのわからない話になってしまった。
昨日は雨に降られて湿った空気が肌にまとわりつくようで、しかも取材なのでジャケットを着ており、船橋法典の駅から先方のお宅まで歩くうちに汗まみれになった。
きょうもわりと湿度が高かったようだが、それでも体感的には昨日よりはましだった。
昨日インタビューさせていただいた方が87歳。きょうの方が86歳。おふたかたともバリバリにお元気で、昨日の方は日常的にクルマを運転し、週に一度ゴルフをされているという。きょうの方には5年ほど前にも取材させていただいたことがあるのだが、そのとき以上に、数十年前の出来事に関する記憶力に驚かされた。昨日、きょうと、非常に含蓄のある、興味深い話を聞かせていただいた。
私は、おふたかたの年齢まで、まだ折り返してもいない。これから先、フラつかずに頑張って、
「まさか自分がこの年まで生きるとは思わなかったよ」
と、きょうお会いした方のようにサラリと言えるようになりたい。
なぜこんなことを書いたかというと、私は、「未来の自分」に関して、あれこれ細かく具体的にイメージしたのが、実は、現在の41歳とかそこらへんまでで、そこから先の「自分像」については、子供のころも、20代、30代のころも、ほとんど想像してみたことがなかったからだ。
──40代前半になってもまだ髪の毛があるかな。
とか、
──40歳を過ぎたら中年太りして、加齢臭や口臭がキツくなるんだろうな。
とか、
──40代前半までには、本を何冊くらい出して、住まいはこんな感じで、クルマは……。
みたいに、いろいろな「設定」をしたものだが、ここから先については、なるようにしかならないというか、考えても仕方のないもののように思っていたし、今もそういう感覚でいる。
要は、ここから先の自分に関してはよくわからないというか、考えるのが面倒というか、怖いというか、ともかく、これまでとは異質な領域に踏み込むことになるような気がしている。
だから、その領域で自分に何ができるのかも、何をすべきなのかも、わがことながら答えを見いだせないのだが、なんとなくの「羨ましい姿」に接することができたのは、きっと自分にとっていいことだったと思う。
またなんだかわけのわからない話になってしまった。
by akihiro_shimada
| 2006-07-25 23:33
| 業務